スポンサーサイト

  • 2017.10.08 Sunday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    公然の秘密 ――『ダウントン・アビー』完結

    • 2017.07.24 Monday
    • 21:09

    トーマス役ロブ・ジェームス=コリアー

    British Soap Awardsの「最もセクシーな男性」を受賞したこともあるとか。

     

     

    華麗なる英国貴族の館で繰り広げられる、ある伯爵一家と使用人たちの愛憎や複雑な人間ドラマ。

    スター・チャンネルではとうに終了していた『ダウントン・アビー』がようやく、NHK地上波で

    最終回を迎えました。「海外ドラマ史上、最も癖になるハイソなメロドラマ」の謳い文句そのまま

    に、ここ何年かワタシの一番のお気に入りだった作品、完結。

     

    タイタニック号沈没事件の衝撃から始まり、第一次世界大戦開戦で終わったシーズン1。20世紀初

    頭のイギリスの時代背景をうまく取り込んだその作りに、まず乗せられまして。

    名女優マギー・スミス(とシャーリー・マクレーン)以外、馴染みの薄い英国俳優たちよりも目を

    引いたのは、物語の舞台となった現存する貴族の大豪邸ハイクレア・カールスの豪華さと凝りに凝

    った調度品、時代ごとの流行りの衣装、貴族と召使いたちの優雅な所作、そして美しい田園風景。

     

     

    ストーリーでは、いま思い出して特に印象に残っているのは、三女シビル、長女メアリーの夫マシ

    ューと、華のある役者たちが劇的に退場したシーズン3。

     

    オーストラリア出身の当時の実在の歌姫メルバ(キリ・テ・カナワ登場!)が広間で朗々と歌うそ

    の階下で、侍女アンナが暴漢に襲われる展開がドラマティックだったシーズン4。

    4では、不運まみれの次女イーディスが、失踪した婚約者の子を中絶しようとしてギリギリで思い

    とどまるシーンも切迫感たっぷりだったし。

    そのシーズン冒頭、「奥様の石鹸」のキーワードで追い詰められ、遠景だけで去っていった意地悪

    な小悪党・侍女オブライエンはヤな奴だけどお気に入りだったなぁ。

     

    シーズン5では、再婚を迷うメアリーがこっそり婚前交渉した結果、求愛者ギリンガム卿を振って

    しまうのが一見説明不足だったけど、レディには口にできない「大人の事情」だったってことで。

    このシーズンは、妻コーラに焼きもちを焼く館の主ロバート、彼の母バイオレットの過去の国境を

    超えた駆け落ち未遂事件の顛末や、再婚に揺れる亡きマシューの母イザベル、執事カーソンと家政

    婦長ヒューズ(二人とも貫禄と人間味の滋味たっぷり)の結婚と、老いらくの恋花盛りでしたね。

     

    そして最終第6シーズンでは、自分を好きになる男をいつも見下してしまう、それが癖だったこと

    に気づいた料理長助手デイジーや、太っちょの料理長パットモア、妻シビル亡き後ゴタゴタもあっ

    たけどずっと家族の傍でいい人であり続けてきたブランソンの新たな恋の予感も含め、いったい何

    組のカップルが画面に溢れていたことか。

     

     

    けど各シーズンのストーリー以前に、なによりもぼくが惹かれたのは、日本の数多のドラマと違っ

    て情緒を冗長に引きずらず、スパッと次の場面、同時進行する別のエピソードへと転換する切れ味

    の良い編集。さらに、吹き替えの都合もあるでしょうが、短い言葉数で、小気味良い皮肉に満ちた

    決め台詞。

     

    全ての最終回であるシーズン6のラストスペシャルの最後でも、全話を総括するように「過去には

    戻れない、未来に向かうのがいいのよ」と話すイザベルに、全部ひっくり返すごとく「戻れたらい

    いのに」と返してイザベルに定番の呆れ顔をさせた皮肉の女王バイオレット。

     

    さらにこの回にはもうひとつ忘れられない台詞がありました。長年見下してきた妹イーディスと、

    ようやく和解する姉メアリーが口にした「姉妹には秘密がつきものよ」。

    まさにこの「秘密」こそがキーワード。この英国版大河(メロ)ドラマをここまで世界的ヒット作

    として引っ張れたのは、時代とともに変わりゆく貴族と使用人たちの意識や生き方をわかりやすく

    描いただけではなく、そこに「秘密と暴露」という連続ドラマには欠かせない視聴者好みの味付け

    ・展開を次から次へと繰り出してくれたからでしょう。

     

    そもそもシーズン1初っ端、夜這いしてきたトルコ人大使が自分のベッドで変死したことを、母コ

    ーラと侍女アンナの協力を得て、父ロバートにも他の家族にも隠さねばならなかったメアリー。そ

    れを察知してスキャンダル紙に漏らしたのは、姉に嫉妬するイーディスでした。

    イーディスはその報いのように、ラストシーズンまで散々な目に遭い続けますが、メアリーの冷た

    い傲慢さとイーディスの卑屈に歪んだ半べそ顔は、明るく進歩的な末娘シビル亡き後、救いのない

    ような対比のされ方で。それがラストシーズン、ようやく現れた再婚相手ともめたメアリーが、玉

    の輿に乗りそうなイーディスの一番触れられたくない秘密を、悔し紛れに、まさに復讐のように暴

    露して。その後周囲から責められようやく反省したメアリーのお膳立てで、イーディスは無事最終

    回のヒロインになれたわけですが、他の登場人物たちも、大小の秘密をネタに各回・各シーズンの

    興味を駆り立ててくれました。

     

    けれど。

    その中でただ一人、最初から「公然の秘密」を持っていたのが、下僕トーマス。

    彼は、同性愛者であることをほぼ全員に知られている前提で登場しました(シーズン1でいきなり

    BLシーンもあったし)。

    そのキャラ設定は、陰険でプライドの高い策略家。けれど他の登場人物のような愛に恵まれず、自

    分だけが周囲から浮いていることに深く傷ついていることもちゃんと描かれて憎みきれない存在感

    がありました(ネットでもその美貌とクズっぷりと苦悩が人気だったようで)。

    当時はまだ同性愛者は「罪深く穢れている」とされ、通報されたら投獄されちゃう時代。それを考

    えれば、彼の悩みからは目を逸らし有能な彼をとりあえず受け入れていたダウントンの人たちはま

    あ時代的にも「寛大」というか…。

    特に第3シーズン、新入り下僕のチャラいジミーに疎まれつつもどうしようもなく惹かれ、男たち

    に絡まれた彼を救って怪我を負うとともに、騒動を起こしたことで解雇寸前まで追い込まれ。

    第5シーズンでは、「ふつうの男になりたい」と怪しげな通販の薬を自分で注射し続けて体調を悪

    化させたり。

    そんな彼も最終シーズンでは、自殺未遂から助けられたあと、伯爵一家にも使用人仲間にも改めて

    温かく迎え入れられ、仕事の上では執事に上り詰めるんだけど、プライベートでは主要人物の中で

    ただ一人、カップルにはなれないままお話は終わりました。そこが唯一、残念といえば残念だった

    かな。

    けど、時代の変化を滔々と描いてきたドラマとしては、貴族の経済的困窮や女性や使用人たちの意

    思尊重と社会進出、そこまでが限界で(最終話は1925年大晦日の設定)、ゲイの本当に自由な恋

    愛やカップル承認までやっちゃうと、肝心のリアリティがなくなったでしょうね。

     

     

    当時、下僕を持つのは貴族の力を誇ることだったので、彼らは若くて眉目麗しく未婚であることが

    条件でした。「観賞用」の存在でもあったエロい装置。

     

    「ムーンライト」

    • 2017.04.06 Thursday
    • 03:30

    久々に封切りそうそう映画館で観た作品「ムーンライト」は一見、シンプルで地味な佳作でした。

    けど観ている時よりも、後になってからじわじわとくる映画だと思う。

    (以下ネタバレ満載。未見の方は読まない方が)

     

     

    自分がまだ何者であるかも知らなかった黒人の少年が、他者によって目ざとくそれを揶揄され、やがて自分でも気づき持て余して卑屈になり、そして誰よりも焦がれていた相手にやさしく触れられると同時に決定的に傷つけられ、やがて心と体に鎧をまとうことで生き延びるとともに、その思いだけをひたすら一途に抱き続けて――

     

    BL的な視点からは「ゲイこそ真実のラブロマンスの体現者だ」という古色蒼然たるファンタジーを補強されるかもしれません。なにしろ黒人の少年達は月の光に「青く」美しく輝くし。

     

    「ブロークバック・マウンテン」ですら成し得なかったアカデミー作品賞受賞は、「白過ぎるオスカー」に対する安易な忖度だけでは片付けられない説得力が充分あると思います。たしかに時の運もあるだろうけど、それはいつだってどんな作品にだってあるでしょうし。

     

    ぼくがこの作品を観ている間ずっと感じていたのは(特に第1部リトルと第2部シャロン)、学校ではクラスメートに毎日いじめられ、家ではジャンキーの母親に始終怒鳴られネグレクトされ……「早く物語を進めて」と思うほどの居た堪れなさ。
    けど、そんな悲惨な状況に置かれたリトル=シャロンが直接的肉体的な暴力を受けるのは「必要最小限」の1回だけで、ぼくが感じたはらはらヒリヒリとした感覚は、この手の映画にありがちな暴力によってではなく、なによりもリトル=シャロンを演じる子役の、時に焦れったいほど寡黙な佇まいに通して描かれていました(いじめや虐待の本質はそれをした方ではなく、された側がどう感じるかにあるんですよね)。
    特にあの、追い詰められて怯えきった小動物のような哀しみ溢れる大きな目。その脆弱さを湛えた目は、一見マッチョな大人になった第3部ブラックにもちゃんと受け継がれています。
    一人の主人公を時代別に、けれど同じ眼差しを持つ三人の俳優に演じさせたことがやはりこの作品の最大のポイントでしょうが、ぼくには、暴力による外からの刺激描写ではなく、寡黙な主人公の内側から滲み出る「痛み」をこそ観る側の心に沁み込ませようとしたことが、より多くの観客に普遍的に響いたんだと思います。
     

    暗い夜の浜辺で。

    月の光が照らし出すのは、いきなり太陽に晒したら壊されてしまいそうな柔らかなもの。

    その人にとってとてもナイーブな、とてもコアなこと。

    この世の昼と夜を生きているのは、なにも黒人の少年だけじゃないし、ゲイだけでもないし。

     

     

    バリー・ジェンキンス監督は最も影響を受けた映画としてウォン・カーウァイの「ブエノスアイレス」を挙げていて、あの耽美的な映像に寄り添ったカエターノ・ベローゾの「ククルクル・パロマ」を、オマージュを込めてある大切な移動のシーンで流しています。

    ゲイの監督としてはアルモドバルも、代表作「トーク・トゥ・ハー」で劇中、本人自らを登場させて歌わせてましたっけ。哀切こぼれまくりのこの曲が、ブラックを最後の転機へいざなっていたとは、観終わった後もしばらく気づきませんでしたが。

     

     

    そしてもうひとつ。

    これはネットなどの映画評を読んでも触れられてなかったことなんですが、ぼくが心に残ったのは、主人公の相手役ケヴィンについて。

    彼もゲイだったかどうか。

    いや、ただ好奇心旺盛な、性的に放縦な遊び人だったのか。

    主人公よりも早熟で、すでに彼はそれに気づきそれを抑圧否定するために女とヤリまくり結婚もした隠れホモだったのか。だからこそクラスメートに追い詰められシャロンを殴らなければならなかったのか。

    バイである可能性も含め、どちらにでも解釈できると思います。

     

    でもそれに興味を示すのは、誘うのは、いつもケヴィンの方でした。

    長い時を隔てて電話をかけてきて謝り、ブラックを故郷マイアミに戻って来させるのも彼。

    その旅は、ブラックが愚かだった母を赦すきっかけにもなります。

    幼いリトルのシェルターとなり大切なことを教えてくれた麻薬バイヤー・フアンとその妻テレサと同様に、一皿の食事=愛を差し出すケヴィン。

    ラストシーン、二人の行く末に親切な説明などありません。

    でも、「ムーンライト」は決してLGBTQムービーだけに収まる必要はない作品だけど、ゲイとしてのぼくは、やはりケヴィンもゲイだったってことで。

    占星術的杞憂であれかし

    • 2016.06.25 Saturday
    • 20:06

    2016年も早やあと半分。

    定年後のパッとしないおじさんが、仕事という拠り所を失い家庭でも大事にされず今さら新しい関係性も築けずこれまでの人生の後悔や鬱屈を愚痴り偏狭な不満批判ばかり垂れ流し始めるように(←かなり偏見)

    私もこの半年、世間で話題になってることにわりとうんざりしてました。

     

    ベッキー、SMAP、乙武くん、舛添叩き、安倍悲願の改憲問題、ドナルド、英国のEU離脱……

     

    海外の事柄に関しては分からないことが多すぎるので一概には言えませんが、

    ベッキー〜改憲問題(すごい括り)について、自分が最も引っかかったのは今さらだけどマスコミの姿勢です。

    例えばベッキーや舛添に対する尋常じゃないバッシング。

    例えばSMAP騒動。これまでなら事務所とかが週刊誌やTVに圧力をかけたり互いに迎合して

    大衆に甘い夢だけ見せてきた芸能界の裏がネットを中心にこれほど露骨に透かされるとは。

     

     

    な〜んて、誰でも書きそうなことはこれくらいにして、

    自分の多少得意分野である西洋占星術を通して見ると。

     

    今年の星の配置の大きな特徴は、

    乙女座にいる木星(9月まで滞在)と、魚座に長期逗留してる海王星の180度(拮抗・相乗効果)に、射手座入りした土星・火星が90度(緊張・課題)の横槍を入れて、ずっ〜とT字スクエアを形成してること。

    加えてこの6月は、太陽・金星・水星が双子座を通過して、

    これら4つの柔軟宮でグランドクロス(物事が揺れ続けて定まらない四面楚歌状態)に。

    これに似たシビアさは8月末〜9月に再現されます。

     

    一方、乙女座の木星は、山羊座に腰を据えた冥王星と調和の120度で、

    5月を山場に牡牛座を通過した星々と共に、正三角形のグランドトリンを作って、

    着実さや長年続けてきたことの結実をもたらしてはくれたんですが。

     

    乱暴に書くと、

    乙女座は「白黒つける潔癖さ・細かすぎる批判性・自己防衛・小市民性」の星座です。(献身的で優しい一面もありますが)

    魚座は「すべてを曖昧にするルーズさ・欺瞞・隠されていることや社会的弱者」を表します。(良く言えばすべてを受け入れる大らかさがあります)

    射手座は「理想と、上から目線の批評性」、双子座は「好奇心と、山っ気・移り気」が特徴で、どちらもわりかし無責任。

    乙女座の木星と魚座の海王星の拮抗からは、大いなる赦しと現実的な癒しも期待できたんだけど、

    射手座での土星火星の合(容赦のない修正を表します)が絡んだからか、

    実際に起こったことは、弱小プロダクションの一女性タレントのあやまちと嘘やセコ過ぎる都知事を血祭りにあげること。

    影の力に守られて逃げ切った不倫芸能人なんていくらでもいるし、

    石原元都知事の税金私的流用なんかケタ違いなのに弱腰マスコミは一切取り上げない。

     

    ベッキーは魚座生まれ、舛添元都知事と川谷絵音は射手座、SMAPのCDデビューは星座でいうと乙女座です。ドナルド・トランプは双子座。グランドクロスでみんな大変。

    ちなみに乙武洋匡は牡羊座生まれ。自己主張が強くパイオニアであるとともに、屈託を秘めておけない性分なのですぐに不倫を認めたんでしょう。(彼は年齢的にも中年クライシス期だったんですが、加えて牡羊座にはここ数年、突発的変化を表す天王星が滞在していて、今年は火星が射手座〜蠍座を行きつ戻りつして150度というある意味一番御し難い角度をとってまして)

    蛇足・英国も西洋占星術では牡羊座に属します。

     

     

    ……と、ネタにしやすい芸能人(芸能人ってそれが仕事でもあるけど)を中心に長々書いたけど、

    最も警戒すべきは先月も書いた、安倍首相が乙女座生まれだってことです。

    それだけでなく出生時のホロスコープを詳しく見ると、「社会性・拡大の木星」「変革の天王星」「人気・大衆・気分の月」が、まさに「身近な共同体(家庭・国家)や先祖(岸元首相)や、理性よりも気分風潮による共感結束を大切にして、異質なものには排外的になりがちな蟹座」に集中しています。怖い……

    さらに「攻撃の火星」は「今生の使命を表すドラゴンヘッド(月と太陽の軌道の交点の一つ)」と、「社会・伝統・権力の山羊座」で合で、月と180度!

    前回辞職した頃は、彼の乙女座の太陽に対して「死と再生の冥王星」が射手座にあってシビアな90度で、相当なストレスから体調も崩したんでしょうが、今回はその冥王星が乙女座にとって調和的な山羊座に移り、乙女座には12年に1度のチャンスの星・木星が巡ってきてる。

    そのうえ冥王星は出生時の火星に重なってパワー全開。

    これはさらなる権力掌握と、世間的には、寄らば大樹の陰の風潮も強まりそう……

    嗚呼。

     

    ついでに、昔は尖った芸人だったのに、最近は自分の番組に安倍首相を招いてヘラヘラと仲良ししてるダウンタウンの松本も、太陽は乙女座(天王星・冥王星・金星と4星大集中)。尖ったギャグセンスも乙女座的ではあったんだけど、マッチョ化したり偏狭な右翼化してるのも、まさに、本当は臆病で過剰に自己防衛的な乙女座ならでは。

    ぼくも乙女座なのにここまで悪口書かなきゃいけないなんて〜

     

    本当は、乙女座魚座ラインの視点から、

    「不倫」についてずっと考えてたことも書きたかったんだけど、長くなったのでまたいつか。

     

    ざわつく季節

    • 2016.05.04 Wednesday
    • 03:55

    今さらといえば今さらなんだけど
    もうほんとにね、最近、イヤ〜な感じなんすよ。
    あ、私生活についてではなく。

    私生活においては、改めて気づけば
    もしかしていま自分は、これまで生きてきた中でいちばん
    好き勝手に生かされているのかもしれないなあと思えるほどだし。
    これから先の不安は、まあ置いといて。
    楽しめる時は自分の持ち分の範囲で楽しんどこうと。

    折しも、初夏の木漏れ日まばゆい五月。
    さあこれから夏が来るんだという期待感高揚感。
    夏本番よりずっと爽やかで、
    いざ梅雨が明けたらもうクソ暑さに倦んじゃうし。
    一年12ヶ月のうち9ヶ月くらい五月でもいいと思えるほど
    ぼくはいまの季節が大好きでして。

    と、今回はそういうことではなく。
    ちょっとでも面倒臭いことや頭を使わなきゃいけないことには
    ものすごく無責任で思考停止ばかりしてるこのぼくですら、
    人間として生きものとしての、思考以前の感覚がざわついてます。

    熊本の地震の震度を伝えるニュース映像で
    NHKが川内原発のある鹿児島県をカットした地図を映したり、
    フジや日テレの情報番組が
    伊方原発がある中央構造線の存在に触れる学者の意見をスルーしたり。
    福島の「想定外」に何も学ぼうとしない政治家と既得権者たち。

    そしてもひとつイヤ〜なのは、安倍政権の憲法9条改憲の動き。
    それに協力する怪しい団体や品性のないネトウヨたち。
    なんでそこまで執拗に不寛容なんだろうと呆れる
    たかが一女性タレント不倫ごときに関するニュース以上に、
    偏向しつつあるマスコミの報道もネットも見たくなくなります。

    が、そんなうんざり感ざわわの中で見つけた光明。

    「押しつけ憲法論」は真っ赤な嘘だ
    http://lite-ra.com/2016/05/post-2208.html


    いいぞ。

    で、突然、政治とはかけ離れた
    軟弱な自分の得意分野からの話で申し訳ないすが、
    西洋占星術では安倍総理(乙女座)の運勢は
    ある意味今年9月までが波乱含みの絶頂期で、その後は下り坂のはず。
    じつは彼、自分と誕生日が一緒なんだけど(と〜ってもイヤ)
    さっさと退いてほしい。
    まあ彼がいなくなっても
    もっとしたたかな政治家が次を狙ってるらしいんだけど…

    今回はすっごい、このブログらしくない記事でした。

    あ、占星術のことを政治とかけ離れたと書いたけど、
    一説では、アメリカとかでは政治家が利用してたりも
    するらしいんですよ。


     

    邦画『怒り』の表情

    • 2016.04.13 Wednesday
    • 20:07

    久々に、これは観たいと思う邦画。
    『悪人』(妻夫木くん・深津絵里も良かったけど、脇の樹木希林・満島ひかり堪能)同様、吉田修一原作の『怒り』。


    千葉の漁師・渡辺謙と宮崎あおい父娘の前に現れる、松山ケンイチ。
    沖縄の女子高生・広瀬すずが遭遇する、森山未來。
    大手リーマン・妻夫木聡(どうやらゲイ役♥)が出会う、綾野剛。
    前歴不詳の三人の中に、凄惨な殺人事件の犯人が?
    三組の出会いを通し、人が人を信じることと疑うことの葛藤の末に。


    物語の概要はそんな感じらしいんですけど、「“俳優7人”ではなく“登場人物7人”を撮ってほしい。俳優ではなく役のままの顔が見たい」というコンセプトで、本編撮影中に撮られた篠山紀信によるポスターの迫力にぐっと惹かれました。
    http://www.ikari-movie.com


    もともとミーハーでオールスターキャスト映画が好物な私(そればかりじゃないですけど)。そのきっかけとも言えるシドニー・ルメット作品『オリエント急行殺人事件』のポスターを想起します。あちらはイングリッド・バーグマン、ローレン・バコールらが従来のイメージとは違う、役柄そのままの表情で描かれた精密なイラストだったけど。
    あ、スターてんこ盛り大好きな三谷監督『清洲会議』のポスターも同じ作りで、まんまと観せられたし。


    広瀬すずはCM以外で見たことないけど、他の六人が華もある演技派であることは間違いないでしょう。なかでも松山ケンイチ、森山未來、妻夫木くん(なぜか彼は君が似合う)はかなり好きな役者だし。
    ポスターのこの三人、とくに興味を惹くいい表情なんすよ。


    日本アカデミー賞(←ジャニーズ2年連続受賞で舞台裏透けたようでガッカリ)の、
    主演助演賞Wノミネート以降、映像より本来のモダンダンス中心に活躍してる森山未來のコメント。


    「繊細に受け止め続けて体いっぱいに膨らんだ、透き通った凍てつく痛み。やがて血が通わなくなり感覚を失い、それでもまだ、心身に行き渡る痛点をいらいらと刺激し続ける、そんな痛み。形は違えど、劇中の全ての登場人物がそんな感覚を等しく抱いているのではないでしょうか」


    この、痛みというキーワードに惹かれる私も相変わらずだなあ。
    9月公開。わくわく。



    超久々の記事。友人からまた俳句載せろと言ってもらえたので、
    凡凡拙句承知で。季節的にももう遅いんだけど。


    あと何回 母の歩幅の花見かな


    いかなごの釘煮を配る母 橋寿

    橋寿は84歳のお祝い。橋田壽賀子か。
    前回12月の記事で書いた母の脳の手術はおかげさまで無事成功しました。
    脳のことでいっぱいいっぱいだった間は忘れていた足腰の痛みが激しさを増したのが、心配というよりかわいそう。

     

    人は変わることはできないけど

    • 2015.12.18 Friday
    • 05:57

    「執着は手放した方がいい」

    と、お気に入りの西洋占星術のサイトに

    ここ数年の星回りからずっとそう書かれてて

    自分もそうだなあと思い当たる節が多々あり

    でもなかなか手放せないでいるんですが。

    このブログでしつこく取り上げてる「痛み」

    に対する関心も、執着といえば執着で

    そればかり気にして視野が狭くなってる

    のかもしれないなあと思いつつ、やっぱり

    最後まで見てしまったTVドラマ「無痛」。

    クライムサスペンスとしてはイマイチだった

    けど、主人公の最終回の長台詞はやはり

    10/30と、その後11/28の記事を書いてて

    想像したとおりのところに落ち着きました。

    身体的苦痛だけでなく

    たとえば病で苦しみながら死んだ人のあとに

    残された家族の取り返しのつかない痛みとか

    いじめによって言葉をなくした少女とか

    先天的に痛みを感じない体質ゆえに

    心を閉じていた青年が、唯一自分の帰れる家

    として信じた相手に裏切られる悲しみとか

    いろんな痛みを抱えた人物たちを見せた上で

    無痛治療の特効薬を夢見るよりも、

    「痛みは私だ。

    それが生きていくということだ。

    (略)痛みは生きている証だ。

    目をそらせば

    人というものを否定することになる」

    …そうだよなあ。

    気を紛らすこともとっっても大切だけど

    このまま、ぼくは痛みに対する執着は

    手放さなくてもいいのかも。

    ただ、それに飲み込まれるのではなくて。

    たとえば、うつにおける認知行動療法って

    とてもとっつきにくいけど、ポイントは

    「人は変わることはできないが、

    考え方を変えることは可能だ」のひと言。

    降りかかってきた現実に落ち込んだり

    思い通りにならない人を根に持ったり

    思い通りにならない自分を哀れんだり

    じゃなくて、「おお。そう来るか!」

    「じゃあどう対処しようか?」と

    例えればゲームのように距離を置いて

    よりうまくいくように考えてみる。

    そういうことなんだろうなあと思います。

    宝塚の家に一人で暮らす母親(83)が

    近々、脳の手術をすることになりそうで。

    まさに地域コミュニティに根付いた人で

    なんでも自分でこなしたいマイペース&

    実行力のある人だったんだけど

    足腰の痛みと不自由さにも耐え

    乳がんその他も乗り越えてきた彼女も

    今回ばかりは正念場。

    ぼくもそろそろ、いろんな覚悟が必要です。

    それにしても、うちの家は

    母の誕生日、父の命日、妹の誕生日

    祖母の死、伯母の死、甥の誕生日と

    12月から1月はイベント目白押し。

    師走正月はせわしない。

    久々、俳句拙作。

    ラ・フランス いつも傷んで帰り着く

    還暦の聖夜にともすショートケーキ
     

    ぼくを育ててくれた町

    • 2015.12.10 Thursday
    • 05:07

    もう40年近く首都圏(世田谷→渋谷→新宿→成増→新宿→藤沢)に住んでるのに、いまだに関西弁まじりのぼくは出身地を聞かれるたびに、じつはちょっと戸惑います。

    (ちなみに関西弁が抜けないのは信念を持ってそうなのではなく、おそらく耳の性能があまりよくないから自分のイントネーションの癖もそのままなだけ)

    で、相手によって、大雑把に「関西」とか、広すぎて自分的にはしっくりこない「兵庫県」とか、も少し絞って「大阪と神戸の間の山の方」とか(阪神地区とは言わない。なぜなら阪急沿線だから)、そして正直に「宝塚」とか答えを使い分けてきました。

    だって、宝塚って言うと、「タカラヅカ」すぎる気がしちゃって。完全に自意識過剰でしょうが。

    べつに市内全面スミレの花に覆い尽くされてるわけでもないし、京都や博多や横浜のような華のある大都市でも、鎌倉や金沢みたいな渋いブランドでもないのに、市名を言うだけで、「三代続いた江戸っ子でぇ」とか「田園調布ざあますの」(死語)みたいな「そこに住んでるからって自分まで凄いんかい」と思わせる(最近なら二子玉とか?)、分不相応なプライドを感じさせる気がして。本当にさもない、のどかな地方の小都市の分際で。

    六甲山脈と丹波の山々を背にした大阪平野の北の端の、元々は有馬のついでみたいな小さな温泉町だったくせに、世界に類を見ない少女歌劇「タカラヅカ」と、元祖クールジャパン・漫画の神様「手塚治虫」を生んだ稀有な町。

    そのギャップが私の心を乱すのです。

    そんなわが故郷が、渋谷区、世田谷区に続き全国で3番目に、同性パートナーに公的書類を発行する自治体として名乗りをあげました。ひょえー。

    いろんな観点から賛否両論あると思うけど、この小さな小さな一歩を自分の生まれた町が踏み出したことを、ワタシは誇りに思います。

    ニュース記事に対するネット上の書き込みには、びっくりするほど否定派が多いけど(ほんと頭悪くて品性のないヒマ人たち)そんな方々に教え諭してあげるほどの言葉も時間もリブ魂も持ってないから、無視。だいたい、当事者でもない連中にとやかく言われる筋合いはないし。

    それよりこういうゲイ関連のニュースが出るたびに明らかになるのは、同性愛者の中にもいろんな意見・スタンスの人がいるなあということ。

    自分はむしろそっちの方が気になります。

    いや、当事者として肯定的な人も否定的な人もいていいし、それが自然とは思う。自己肯定するのも自己否定するのも本人の自由。他人から不当に否定される謂れは全く無いが。

    でもぼくは、自分自身はもう同性とのパートナーシップを目指すことから降りたからとくにメリットもないけど、とりあえずLGBTIという「或る一つの」くくりの中の一員として考えれば、ヘテロカップルと同等の権利が認められるのは至極当たり前のこと(制度を利用するかどうかは個人の自由で、それはその先の話)。

    事実婚ノンケカップルの利用の方が多いというフランスのパクス法とか、G8の中で制度化していないのは日本とロシアだけらしいシビル・ユニオンやドメスティックパートナーシップ制度とか、或いは南アフリカやネパールみたいに憲法にLGBTIの権利を明記するとか、どんな方法・戦略が日本でベストなのかは、まだよくわからないけど。

    自分が幼少期に育った家は、向かいは温泉旅館・隣は芸者の置き屋という下町にあり、宝塚大歌劇や宝塚音楽学校の生徒の寮にも近かったんで、知り合いのすらっとしたお姉さんが上級生と間違えられてグレイの制服を着た生徒さんにしょっちゅうお辞儀されるとか、歌劇場に併設された宝塚ファミリーランドの動物園やゲームセンターが遊び場だったんだけど、温泉街もとうにさびれたし、ファミリーランドだけでなく、中谷美紀が映画『阪急電車』で自分を振った男の結婚式に純白ドレスで乗り込んだ、わりと歴史ある宝塚ホテルまでとうとう閉鎖と決まり(あそこのレストランのカレーライスやピラフは子供心にも美味かった)、武庫川を見下ろす山々を削って味気ないマンションばかり増え…

    今度帰省したら、住んでる頃はなかった手塚治虫記念館に行ってこようっと。
    それと、山手の住宅街に昔からひっそりどっしりと構えた、日本で最初といわれる(ホントか)イタリアンレストラン「アベーラ」も。ここ、今どきのイタリアンと違って、本場のまんまらしく大味なのがまたよろし。

    泣く――『talk to her』の涙

    • 2015.12.05 Saturday
    • 00:41

    先日、泣く夢を見まして。

    夢のディテールは起きた瞬間もう思い出せなかったけど、実際に込み上げてくる自分の嗚咽が苦しくて目を覚ましたんですよ。

    起きた自分の目尻に涙が溜まってて、もうびつくり。あまりに新鮮でプチ感動しました。

    現実では3年前の6月、18年一緒に暮らした猫が死んだときは別にして、もうどれくらい泣いてないかしらん。大人になれば、そんなもんかな。年を食うと涙もろくなるともいうのに。元々ハードボイルドな人間では全然ないのに、とんと思い出せない。

    で、これまで何度か、自分は脳の中で「情動」を司る扁桃体という部位の働きが通常より過敏らしいという話をしてきましたが、今回はその中でも泣くということについて。

    まず、「情動」を辞書で調べたら「恐怖・驚き・怒り・悲しみ・喜びなどの感情で、急激で一時的なもの。情緒」。情緒=「事に触れて起こるさまざまの微妙な感情」。感情=「物事に感じて起こる気持ち。外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる、ある対象に対する態度や価値づけ。快・不快、好き・嫌い、恐怖、怒りなど」。

    これらの中でも、扁桃体が深く関与しているのは「恐怖」「嫌悪」といった、本来、生命の維持のために大切な情報の処理と記憶らしく(「ここにいると獣に襲われて危ない」とか「この食べ物は体に良くなかった」とか)。ようするに自分は、とっても生命維持機能が高いと(嗤)。

    一方、快い情動(快感)には、別の脳内システム「報酬系」が働き(扁桃体も関与しつつ)、側坐核という部位がドーパミンを放出することで脳内に心地良い感情が生まれる、と。

    じゃあ、泣くって、快・不快どっちなのと考えると、恐怖や悲しみが原因という意味では不快だけど、結果、泣くことでストレスが解消されたり、笑い同様に免疫力を高めてくれるのはご存知な話。玉ねぎとかゴミとかの刺激ではなく感情の高まりから出る涙にはマンガンが多く含まれていて、うつを回避する効果もあるそうな。

    で、ぼくが自分で扁桃体が過敏らしいと言うのは、うつや腰痛や頚椎の痛みを長年引きずってきて、どうやら「痛み」や「生きること」への恐怖が人並み以上に強すぎたらしいと自覚したからなんだけど、一方で、側坐核を中心とした報酬系の方はバランス的に衰えてたかも。心地良く泣くことに鈍感になってるのも、だからかな、と。笑う機会も昔に比べたら減ったし。無論、うつは症状としていろんなことを感じる気力自体枯渇して快さから遠ざかるんで、鶏と卵みたいな感じではあるんですが。

    あ、最近は扁桃体過敏というほどのことはないと思います。やっぱ「自覚する」って大切。

    で、たとえば、映画を観て泣くという話。

    よくありますよね。映画のCMで「泣きました」とか「号泣!」とか。CMはまあそんなもんだと無視するけど、実際の日常会話でも、観てきた映画の感想を聞かれて「泣けた〜」とか。それはいかに今の世の中が泣くことの癒し効果を求めてるかってことなんでしょうが、安易といえばあまりに安易。他にその感動を伝える言葉はないものか。

    なんて、かくいう私も「どう説明すればいいかわからないけど、とにかく泣いちまったの」としか言いようのなかった映画がありまして。

    ペドロ・アルモドバル監督作品『talk to her』(2002年)。これも自分のベスト10に入れたい映画です。

    アルモドバルといえば、その濃さ(色彩的にも情念的にも日本人の感覚じゃ生まれないだろういかにもスペインらしい濃厚さ)と、シリアスとペーソスと悪趣味をごった煮にして可笑し味にまで昇華する異才として、大好きな人も大勢いると思いますが。

    母と娘の愛憎が強烈な色彩感覚とメロメロのラテン音楽込みで厚塗りに描かれ、けど自分的には、地下室の窓から聞こえてくる足音の寂しさがいちばん記憶に残ってる『ハイヒール』。

    突拍子もないキャラが次から次へ入り乱れて生命力が爆発したような、そして初期のアングラな作風を保ったまま世界じゅうの映画賞を総なめにした『オール・アバウト・マイ・マザー』。

    アルモドバルの半自伝的作品といわれ、それ以前の母性讃歌3部作とは違ってドラァグクイーンとゲイがより前面に出てきて、けどぼく程度の鑑賞眼では過去と現実と劇中映画の虚実に混乱しまくりだった『バッド・エデュケーション』。

    これら、あえていえばアグレッシブな作品群に比べ、一見非常に抑制の効いた(無論感情や見せ方の抑揚は十分にあるけど)究極の愛を描いたともいえる、しかし密かに変態っぽいという視点で見れば、もしやいちばん危険かもしれない『トーク・トゥ・ハー』。

    なにしろ、ストーカーが高じて、昏睡状態の女性をとことん愛し献身的な介護を続けた末、とんでもないことをしちゃう男が主人公の一人でして。

    (以下あらすじ。ただし今回は輪郭だけで肝心部分はさすがに省略します)

    交通事故で昏睡状態になって以来、病室のベッドに横たわったまま一度も目を覚まさない美しいバレリーナ・アリシア。看護士のベニグノは4年間彼女を世話し続けるとともに、決して応えてくれることのない相手に向かって毎日語り続けていた。

    一方、女闘牛士のリディアもまた競技中の事故で昏睡状態に陥り、彼女の恋人マルコは突然の不幸になすすべもなく絶望していた。ペニグノとマルコは互いの境遇を語り合ううちに次第に友情を深めていく。だが、ペニグノの盲信的な愛は、アリシアを妊娠させるという事態に。

    その先の意外な展開と、ペニグノがアリシアを妊娠させるきっかけ(暗喩)になるとても映画的に面白いシーンのことを書きたくてうずうずしてるんですが、そしてその辺を書かないと、ぼくがなぜこの映画を「泣けました」としか言えなかったかということも伝えづらいんだけど。

    直接ストーリーに触れずに言えるのは、印象的な前衛ダンスと、音楽。

    音楽は、ブラジル人ミュージシャン、カエターノ・ヴェローゾ本人がライブで歌う「ククル・クク・パロマ」がマルコとリディアの心を燃え上がらせたように(けれどそれはマルコの白昼夢)、その切ない歌声は観客の心にも染み渡ります。それ以外の音楽も、滅多にCDなど買わないぼくがわざわざPCにインストールしたほど。

    そしてさらに特筆したいのは、映画の冒頭と終幕に登場して物語をサンドイッチのように包んでいる、ドイツの舞踏家ピナ・バウシュの前衛的なダンスです。

    とくに、その静謐で哀切に満ちたダンスを劇場で観ている主役4人のうちの2人の、もどかしい距離感と、おそらく清濁併せ呑んだ末の希望を予感させるラストシーン。ここまで、アルモドバル作品にしてはたんたんと、物語にのめり込むことも誰かにことさら感情移入することもなくただ身を委ねるように観ていたぼくの目から、その場面で突然、涙が溢れ出したのです。

    難解な前衛ダンスだけで、このぼくが泣けるはずもなく。そこに至るまで寡黙に紡がれてきた物語の積み重ねと、4人の主役男女たちの深い孤独について、ぼくはちゃんとストーリーを理解できたのか、自分がどう感じたのかを整理することもできないまま、ただただ泣けたのでした。

    そしてそのあと、人に説明できる言葉も浮かばないこと、それもまた良しとしようと思えたのです。

    そういえば、映画の中でも登場人物が、簡単には解釈できない涙を流すシーンがありました。そしてこの記事を書くにあたってネットで情報を漁ったら、こんな批評を書いているかたがいました。

    ーー冒頭でマルコが流していた涙は「純粋」に舞台に感動したものだったかもしれないし、恋人と一緒に見たかったという孤独感がそのまま涙になったのかもしれない。

    リディアが教会で流した涙は、人の幸福をともに分かち合う「純粋な喜びの涙」だったのか、それともそのあとにくる「彼との別れ」という孤独感からくるものなのか?

    人の心は、そんなに単純では無いし、本人さえ知らず知らずに出る涙の意味を正確に伝えることなんてできやしないと思う。

    このかたの文章はこの先、きっと監督がいちばん伝えたかった、とても印象的な、ぼくが思わず涙したラストシーンに触れていて、そこをこそ紹介したいんだけど……

    機会があればぜひ実際に観てもらいたいです。

    ああ、歯がゆい。

    http://www.youtube.com/watch?v=7fl8tyEIXXI&feature=youtube_gdata_player

    (YouTubeの90秒ほどの予告編です。ダンスと音楽の味わいが伝われば)

    泣くって、医学的にいえば、

    セロトニンは精神を安定させて幸せな気分にしてくれる脳内物質で、これが不足すると精神的に不安定になったりイライラしやすくなります。

    感動の涙を流したときには、自律神経のリセットと同時にセロトニン活性が起こり、最強の浄化作用が起こるのです。映画やドラマを見て感動して泣き、カタルシスを感じると妙にスッキリするのはそこにあったのです。

    笑いの方はむしろ活力がみなぎり、泣きの方がより不安や緊張を和らげるというデータがあり、溜まったストレスをスッキリ流したいときには、思う存分号泣するとそれだけで解消されます。

    てことだけど、ようするにそれは人生の豊かな体験。

    良く出来た映画で流す涙も、

    18年連れ添った猫に逝かれ、動物病院の手術室でしばし獣医さんがその場を離れてくれてはらはらと流した涙も、そして翌日ゴミ廃棄場で火葬した帰り道に込み上げてきた涙も、

    あるいは、思い返せば12年前、あれが最後の恋だったなあと今や照れるしかない、1年間振り回された挙句、どうしようもない色男に振られたあとで絞り出すように嗚咽した涙も。

    ああ、気持ちよく泣きたい。

    現実の別れの涙も残された者には必要で大切な儀式だろうけど、

    やっぱりそちらは、できれば避けたいと願いつつ。

     

    そして一年は過ぎゆく

    • 2015.11.28 Saturday
    • 20:39

    家族でも、友人でも、ジムでよく会う顔見知りでもなく。

    或いは9monなどで薄〜く縁のできたお相手でもなく、

    最近、ぼくがいちばんマメにコミュニケーションを取っているのは、Appleサポートに電話をして、そのつど、手取り足取り機械オンチの相手をしてくれるスペシャリストさんたちです。

    もう通常レベルのサポートさんじゃダメ。

    スペシャリスト直通ご指名です。

    なにしろ7月にすったもんだの末、修理に出して過去から引きずってきた様々なトラブルを全てクリアにしたはずのiMacが、EL Capitanにバージョンアップしたあと毎日面白いほどにフリーズし、強制終了→再起動→ちょっと使える→フリーズ→セーフブート→毎回違うトラブル発覚と、手を替え品を替え途方に暮れさせてくれるので、もうスピーカー状態のiPhone相手にMacを使ってるような状態。

    ま、毎度スペシャリストさんは慇懃無礼を超えた親身さで相手してくれるので感謝はしてるんだけど(そのプロらしさはプロバイダや端末会社の、最低限の情報をそそくさ伝えるだけの相談窓口とは比較にならない)、

    なにが原因なのか問題を切り分け、一つずつ対処アドバイスして、それでダメならまたお電話をってことになり、やっぱりダメで半日Macに張りついたり後日また電話かけたり。

    ジム・買出し・所用を済ませる、Macに張りつく、料理や部屋のこと以外なにもしたくない、そんな三日のローテーションで暮らしてる感じ。で、気がつけばもうすぐ12月。

    今年はiPhone購入に始まり、一年間Appleとのお付き合いをじっくり深めた年でした。

    これが生身の人間相手なら、どんなに心温まろうて。

    あとは、体のメンテナンスに明け暮れてたかな。中性脂肪と冷え対策の食事徹底改善、軽い皮膚アレルギーのための医者探し、しつこいピロリ菌退治、ちっともよくならない歯の食いしばり、腰痛向けの大仰なデスクチェア購入、医療保険や年金の見直し、月に一度の心療内科、毎回3時間は過ごすジム通い。

    でも、Macと本気で付き合わなきゃいけなくなった頃から、不必要に落ち込むことはほぼなくなりましたね。メンタル面ではこれまでに比べかなりフラット。まあ、目の前のことを一つずつこなすだけだなと。

    いよいよあちこちガタがきた母親のこととか、田舎の家をどうするかとか、着実に迫り来るイベントに覚悟は必要だけど。

    そんななか、私の相変わらずの関心事は「痛み」。

    このブログも、過去の記事も含めそれメインに新しいカテゴリーを作ったほうがいいかなと思うくらい。(付記・作ってまとめました)

    前々回記事で触れた、今期個人的に注目のTVドラマ「無痛」。

    原作の小説も読もうかなと思ったら、やたら分厚くて迷い中なんだけど、ストーリーをまとめるのも面倒なので、気になった台詞だけ羅列しておきます。

    「痛みとは、身体の損傷による不快で感覚的情動的な経験。他の刺激は繰り返せば慣れが生じる。だが痛みだけは反復によってむしろ増幅される。よって、痛みを経験した者は、痛みの予感を恐れる。記憶が痛みを倍加させるのだ」

    この台詞、やはりドラマのキーマンだった、先天性無痛症のために自閉症になった純朴な青年が極めて残酷な行動を起こすシーンでたんたんと語るんだけど(あくまでドラマ上のキャラ設定です)、ぼくが映画や拾い読みの本・ネット情報で納得して、過去の記事で書いたこととほぼ同じ。

    一方で、ぼくの読みが浅くて気づかなかった、もう一人のキーマンがいて。

    その老人は激痛を伴う病で死の床に付していて、他人の病気の症状や殺人の衝動までもが見える目を持つ主人公の医師(西島秀俊♥)がせめて痛み止めの処置を施そうとするのを最期まで拒否して、亡くなる寸前こう呟くのです。

    「(この)痛みは、私の…、私の痛みだ」

    恩師でもある老人の死に際のそのひと言に、それまで、無痛治療の研究を進める大病院に協力しようとしていた主人公は立ち止まります。

    「痛みを完全に取り除くことは本当に正しいことでしょうか。受け入れるべき痛みもあるのかもしれません。それも含めて、その人たちの人生だった」

    ぼくも、椎間板ヘルニアの症状がいちばんひどかった頃、

    ベッドで胎児のように丸く横になってる以外どうしようもなく、それでも波状攻撃で痛みが襲ってくるそのはざま、「ああ、いま自分はとても生きている!」と、どんな楽しい瞬間よりも切実に感じたもんなあ。

    ドラマはまだ最終回ではないから、サスペンスとしてのサービスも含め、いやそんなことより主人公がどんな境地に至るのか、それはまだ分かりませんが。

    今年、ぼくはこれまで過敏すぎたメンタルな痛みにもわりと鈍感になり、体の痛みもそこそこ飼い慣らしてお付き合いできるようになって、それは今年いちばんの収穫ですが。

    そして一年は過ぎゆく。

    冬顔

    • 2015.11.20 Friday
    • 01:03

    なんとこの時期、11月の陽だまりに、いきいきと毎日咲いている朝顔。

    晴れてチャリでお出かけできる日は必ず見かけます。

    限りなく濃い青に近い紫。

    道端の空き地を這うようにのびる茎に、夏の朝顔同様、薄くても張りのある花がいくつも。

    今時分の季節は彩りが乏しくなり、

    部屋の近くの池を埋め尽くしていた蓮の花も葉もとうに朽ちて、無残というか渋すぎるというか。

    目の楽しみが減るなか、一見弱々しげながらじつはしっかりと夕方まで開いているその鮮やかさは、けっこうインパクトありまして。

    気づけば毎年今ごろまで咲き続けてるから、狂い咲きともいえなさそうだし。

    そういう種類なのかしらと思って調べたら、容疑者が2名。

    昼顔や浜昼顔ではなく、蔓状に伸び繁る園芸品種Heavenly Blue(曽野綾子さんの小説タイトルになってる「天上の青」)、もしくは、海岸の草地や道端に育つ「野朝顔」。

    茎や見かける場所や野趣からして、野朝顔と思われ。

    けど勝手に、「冬顔」って名前でもいいんじゃないかなぁと。

    もうすぐ、自分の住んでる町でも、

    かなりの数のご家庭が庭木やベランダや玄関周りに、それぞれに工夫を凝らしたクリスマスの飾り付けを施します。

    凍てつく夜道を通るなか、チカチカと楽しげに輝くさまは、省エネもいいけど無駄とはいえない温かさで、冬が来るたびひと息和ませてくれます。

    で、目の楽しみといえば。

    昨日、箱根の山裾にある、出来立てのころ一部のゲイにも人気だった露天風呂「天山」に行ってきました。

    紅葉の盛りではなかったけど、おじさんたちに混じって、いかにも運動部らしい二十歳過ぎくらいの男の子たちのグループが。

    その尻・太腿の張り具合や、綺麗に締まった腹筋、適度に発達した肩や胸。ビルダーみたいな筋肉依存ではない、控えめで傲慢な若さの証のバランスの良さ。

    湯質の心地良さも忘れるほどの眼福でした。

    で、また久々、俳句拙作。相変わらず心象に届くほどの進歩も、遠い隠喩の閃きもなし。

    アボカドの種より硬い青年の踝

    外は雨 海の人魚の目に涙

    地を這うて小春日呼ぶや野朝顔

    季語が二つの場合は主と脇をはっきりさせる必要があるんだそうで、詠嘆強調の「や」を入れましたとさ。

    PR

    calendar

    S M T W T F S
         12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    24252627282930
    31      
    << December 2017 >>

    count

    ブログパーツUL5

    ranking

    powered

    みんなのブログポータル JUGEM

    time

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM